初めての脳震盪は高校3年生

1年前の今日、7月10日

 去年の7月10日に強烈なめまいに襲われ倒れてしまいました。朝7時に起きてリナ達の肉を焼いているうちに急にめまいがして、何とかリナ達に食事を与えソファで休んでいました。

 朝食は何も食べなかったのですが昼になると妻のはるみが冷たいパスタ作ってくれたので食べたら、急に気分が悪くなりベッドに横になりました。しばらくしてトイレに行こうと起き上がったら突然家がグルグル回転し冷や汗が出て、吐き気がしたので壁にもたれながらトイレに行き嘔吐しました。

 それから丸一日起き上がると突然激しいめまいと吐き気で10回ほど嘔吐を繰り返しました。

 当初は毎日、日中に全力疾走していたので熱中症脳梗塞を疑っていたのですが、はるみが医者に電話してもらった薬をインターネットでいろいろ調べると、耳の薬で、三半規管に耳石が入るとこのような症状があるとわかりました。耳は数年前から週に一度ぐらいで突然すごい痛みで10分ほど経つと治っていました。

 家がグルグル回る様な激しいめまいは1日で治ったのですが1週間ほどしても軽いめまいはまだ少し続いていて、何か経験したことがあるめまいだと感じていたのですが、ラグビーの試合で脳震盪(のうしんとう)を起こした時の気分です。違うのは脳震盪を起こした時は一時的な記憶喪失でその後数時間は何も記憶がないのですが、今回は記憶はしっかりあります。

 初めて脳震盪を起こしたのは高校3年の春の高校総体でした、試合が始まって5分ほどで脳震盪を起こしたのですが、試合の記憶は全くありません。気がついたのは水道で足を洗っている時で、なんでこんなところで足を洗っているのか分からず、キャプテンだった伊藤に聞くと、試合が始まって5分くらいでタックルにいって頭を打って倒れて、ヤカンの水を頭にかけたらそれからも試合を続け、スクラムのたびに「あと何分?」と聞くので、」その度に「あと5分、と言ったら納得してプレーを続けて、お前は3トライして試合は勝った」と言われたのですが、思い出すのは、眠たくて、体が地面に吸い込まれそうで、必死に立っていたことだけで、走ったことも思い出せません。当時は選手交代はできず、倒れるとヤカンの水をかけてプレーを続けていました。

 今回も眠たくて体が地面に吸い込まれるような気分がするだけで、多分走る気になれば走れると思います。

 10日ほど経って、だいぶ改善しましたが、まだ走ってはいませんが、部屋の中でのトレーニングは開始しました。三半規管の中にまだ耳石が少し残っているのかもしれません。この感覚に慣れるしかないのかもしれません。

 とりあえずは車の運転やリナ達の散歩などやるべきことはなんとかやりました。現在はもうなんともありません。

 高校時代の写真はないので、その数ヶ月前の2年生の時の全国大会の記事です。高校全国大会、毎日新聞記事 私の名前が初めて載った記事

  高校3年生の時にも結構活躍していたのですが、私の名前が新聞に載ることはありませんでした。理由は私の背番号にあります。当時右センターをしていた私の背番号は13番なのですが、同志社キリスト教の学校で、13は不吉な番号ということで14番をつけていました。

 そのため、私が活躍しても次の日の新聞は右ウイングの14番の選手の名前が載っていました。