心臓弁膜症について

 
 心臓弁膜症は、同志社高校の時に一度診断されたことがあります。中学まで何もスポーツをしたことがなかった私は、練習についていくのがやっとでした。同志社高校京都市左京区の岩倉にあり、当時は周囲に民家はほとんどありませんでした。グランドの横の寮に入っていたのですが、練習が終わり、寮に戻る頃には全員での夕食は終わり、私の分の食事が残されているのを一人で食べる日が続きました。
 6月の終わり頃、寮の友人と話をしていると全員が私の呼吸の仕方がおかしいので、病院に行った方が良いと言い出しました。どの様におかしいのか聞いたのですが、うまく説明できる人はいなかったのですが、全員がおかしいと言います。
 
 病院に行き、検査をしてもらうと軽い心臓弁膜症で激しい運動はしない方が良いとのことでした。すぐ夏休みで岡山に帰りたかったので、診断書を提出し、夏休みは岡山に帰り、休養することにしました。9月になり、学校が再開し、京都に戻った私はラグビーをやめようと思い、キャプテンに辞めたいと申し出たのですが、その時のキャプテンはものすごい怖い顔をした鳥居さんで「一度ラグビー部に入ったらやめることはでけへんのや、舐めたら殺すぞ。練習がでけへんのやったらマネージャーをやれ」と言って脅されました。その時には「この人は本当に人を殺しそうや」と思い、マネージャーをすることにしました。
 
 でもラグビーがおもしろくなりかけていたので、このまま一生運動をできないのも嫌なので、1週間ほどして、プレーを再開することにしました。ラグビーを続けることができたのも鳥居さんのおかげです。秋の全国大会は準決勝ぐらいで敗退し、鳥居さんとは少しの付き合いでしたが、大学に入りまた一緒にプレーすることになり、鳥居さんは人を殺しそうな怖い顔をしていますが、本当は人の良い、優しい人だと知りました。
 
 卒業してから30年ほど経ち、ラグビーの後輩4人ほどで食事をしている時、そのうちの一人の呼吸がおかしいのに気づきました。明らかに他の二人と違う呼吸の仕方をしていました。他の二人と見比べると、二人は吸って、吐いてをそんなに間隔をおかずにしている様ですが、彼は大きく吐いて、他の人の2倍か3倍の間、吸い込むことがなく、また大きく吐いてしばらく吸い込むことがありません。
 
 自分の息の仕方を改めて見直すと、彼のように、吸い込む間隔が他の人よりだいぶ少ないことに気づきました。
 ラグビーは全力で走り、少し休み、また全力で走り、少し休み、の繰り返しです。高校でラグビーを始めるまでスポーツを何もしていなかった私は、この息の仕方のリズムが常態化したのだと思います。ラグビーをしていない時もこの様な息の仕方をしてしまう様です。
 
 睡眠時無呼吸症候群というのがあるそうですが、私の場合、覚醒時無呼吸症候群のように、しばらく呼吸しないで、大きく吐き出して、大きく息を吸い込むので、運動もしていないのに、息遣いが激しいのではと思いました。そのため、心臓弁膜症は誤診だったのではと思っていたのですが、診断に間違いはなかった様です。
 
 私が大学4年の頃の同志社高校、中央にある三角屋根がチャペルでその向こう側の3階4階建てほどの建物が校舎です。写真には写っていない左側にラグビーグランド、テニスコート、右側の方に野球のグランド、陸上競技のグランドがありました。当時はラグビー場などは大学と共有で、大学になってからもここで練習していました。
 
 
大学時代の高校