ラグビーにはイメージトレーニングが必要

 少し私自身のことと書いてみます。


 私はラグビーを本格的にしたのは高校と大学の7年間だけです。中学は岡山市内のどちらかと言うと進学校の様な学校で、運動部等のクラブ活動はなにもなく、グランドも体操の時間のための小さな運動場があるだけでした。

 父と父の弟はラグビーをしていたそうですが、私はラグビーのことなど見たことも聞いたこともなく、同志社高校に入るまでほとんど何も知りませんでした。

 高校に入るまでに何もスポーツをしたことが無かったので、身体も痩せていて高校に入った時の身体検査では167センチ、50キロでした。


 同志社高校で初めてラグビーを始めましたが、ラグビーボールを触ったのもその時が初めてで、練習について行くのがやっとで全く使い物にならなくて、15人しかいない部員でただ一人の補欠でした。ポジションも決めてもらえず、FWとバックスが分かれて練習している時はバックスで走っているのですが、FWがスクラムの練習になると、呼ばれてスクラムの台としてスクラムを一緒に組んでいました。試合になると15人必要なので、3年生のマネージャーの人が試合に出ていました。


 それでも秋になると全国大会の京都予選には人数がいないためフルバックで出ましたが、直ぐ負けてしまいました。2年生になり、ウイングをする様になり途中からセンターに変わりました。その時の3年生に良い選手が多かったので、京都で優勝し、花園にも行くことが出来ました。

高校全国大会、毎日新聞記事

大学に入って1年生の春のシーズンの終わりから1軍に入れてもらい、秋のシーズンも社会人との試合を2試合外れただけで、関西リーグ、大学選手権と全試合に出ることが出来ました。この時の同志社大学は3月に日本選手権で八幡製鉄(現新日鐡)、近鉄を破り優勝し、その年の4月に入学したので、レベルが低かった訳ではありません。私がセンターでその時のウイングは殿堂入りされた坂田先輩です。


 こんな私が、高校からラグビーを初めて4年目で同志社大学ラグビー部の1年生(その時、多分172センチ、55キロぐらい)から試合に出られる様になったのは、イメージトレーニングにあると思います。

 高校で初めてラグビーを始めた時、先輩から毎日寝る前に練習でうまく行かなかったこと、どうすれば良いかなどを15分ほど考える様に言われ、それを実行していました。

 今から思えば、これがイメージトレーニングですが、その頃イメージトレーニングという言葉さえありませんでした。

 最初は何を考えて良いのか何も分からず、どうやったら相手のタックルを躱せるか、そればかり考えていました。そしてそれを次の日の練習で実践し、うまく行った時等は嬉しくて、その次のプレー(どうやって繋ぐか)を何時間も考えたりすることもありました。

 

 大学に入った時にはもう相当数のプレーのオプションをイメージ上で作り上げていました。走るのも遅い訳ではなかったですが、格別に速い訳でもありませんでした。でもイメージトレーニングのお陰で判断ミスはほとんどありませんでした。少しずつ体もできてきて、それでも大学4年の時の私の身長は173センチ、体重は60キロ弱でした。


 実際のゲームで体験できるプレーのオプションは非常に限られてきます。私が高校の時には年4回大会がありました。正月明けの新人戦、春の高校総体、夏の国体予選、秋の全国大会です。4大会とも決勝まで行ったとしても4試合、年間16試合です。対外練習試合を含めても30試合もしてなかったと思います。


 このような環境では最適の判断(プレーオプションの選択)ができるようになる数を経験するには10年以上はかかると思われます。しかしイメージトレーニングではいつでも、どこでも1人で出来るし、試行錯誤も出来るので、最適のオプションを考えだす余裕があります。そのイメージトレーニングの中での最適のオプションの選択の経験があって初めて実際の試合で咄嗟の判断で最適、最善のオプションを選べることが出来るのです。