2009年12月の産経朝刊の「奥克彦記念杯」の記事

 スペインに移住して5年後、2009年12月に東京外語大学ラグビー部の合宿に参加した時の監督の千葉さんから次の「今朝の産経朝刊によれば」というタイトルの、2003年11月にイラクで凶弾に倒れた奥克彦大使を偲ぶ「日英親善ラグビー」のメールをいただきました。

 このメールに記載されている南さんと最近連絡が取れ、私が書いた「ラグビーの合宿で外交官試験の勉強をする東京外大の選手」記事に間違いがあることを指摘されました。「私が千葉さんと一緒に合宿に到着した時は合宿の中日でちょうど休みの日であり、選手の一人が靴づれをして休んだことはあるが、それで他の全員が休んでいたわけではない」とのことでしたので、ブログの記事から、「靴擦れで全員が練習を休んだ」との記載を削除しました。

 またこの記事の写真の中の「浦野君のしごき」のタイトルは千葉さんがつけたものです。「しごき」と呼ばれるほどの合宿の厳しい走り込みの練習は外語大OBの永島氏(故人)、川口氏が指導して行われていたもので、彼らの功績です。

 千葉さんがあまり走れなかったタコを「練習の邪魔になる」と言って、外に出しましたが、私が初めて高校でラグビーを始めた時と比べ、その時のタコの方がはるかに身体能力があったので、練習に戻しただけのことです。

 合宿では千葉さんや他のOBは最初のゲームで大敗した後、東京へ帰りました。私は毎年夏には2週間、同志社大学ラグビーの合宿に参加することは会社の了解もとっていたので、合宿の最終日まで残りました。

 合宿の後半の練習は前半と同じで、タコや選手の多くが勝手に自分のスピードの限界を決め、もっと早く走れるのに、走らなかったので、タコにつきっきりで、本来彼が持っている能力の走りをさせただけです。タコに負けないように他の選手も早く走り出したので、全体の走りはスピードアップをしました。

 最後の東工大との試合は「前に向かって走る選手の多い方が勝つ」と言う岡先生の理論を選手に伝え、それを選手が忠実に実践しただけで、私は今回の合宿で技術的な指導など特別な事は何もしていません。

 この合宿の殊勲者はタコで、彼の頑張りが勝つための雰囲気を盛り上げ、最後のゲームでチームの意思を一つにしたもので、実力でははるかに上の東工大に大勝することになったものです。