星名理論と岡理論 2

 当時のバックスのアタックラインは深い(ゲインライン、敵から遠い)のが主流でした。同志社はその頃珍しい浅いアタックラインで、その中でも私は最も浅い位置に立ちプレーができる選手だと自負していました。


 1963年3月に第一回の日本選手権があり、同志社八幡製鉄近鉄を破り、優勝しました。私はその1ヶ月後の4月に同志社大学に入学しましたが、その年の6月にはもう1軍に入れてもらっていました。

 秋からはシーズンが始まり、左センターで、その時のコンビを組んだ左ウイングは坂田さんで、国際ラグビーの殿堂入りされた、世界的な選手でした。


 1年生から1軍に入れたのは、私がアタックの時、突破する位置が非常に浅い(敵のゴールラインに近い)のでトライに結びつき易いのが評価されたものです。

 しかし、星名先生の「スタンドオフの横に立ち、さらにスタンドオフより先にスタートしろ」には本当にびっくりしました。このようなことは考えたこともありませんでした。


星名理論2

  レフリーがノーボールタックルを取らなかった理由は? 

 岡先生のラグビーに対する考え方は 岡先生講演録 をご覧ください。