7年ぶりに日本に帰国

ルディを思いながら眠れなかったローマの夜 

 2013年5月の終わりに日本へ7年ぶりに日本に帰ることになりました。2004年にスペインに来てから3回目の帰国でスペインに来てから日本に帰ったのはこの3回だけです。

 ルディは夜泣きがひどく、日本へ向けての出発の1週間ほど前から私はほとんど眠れていなかったので、心配していたのですが、はるみの話ではルディもリナも元気だと言う事で安心していました。6月9日にスペイン帰国の際、私が乗る飛行機の日本到着が遅れ、出発が遅れるので、その日のうちにスペインには帰れず、ローマに一泊することになりました。

 時差の関係で最後の日ははるみと連絡が取れず、ローマのホテルからスカイプで話をしたら、ルディが危篤状態だと聞き驚きました。9日の朝、ルディは下痢をしてその後大量の出血をして、病院の集中治療室に入っているとの事で、体温も低く、ほとんど意識もないので私が帰るまで持つかどうか分からないとの事でした。
 ルディの緊急入院の様子はこちらから

 ルディの夜泣きは激しくなり、何故かルーフテラスに連れて行くと泣き止みます。先月の下旬は丁度満月で毎晩ルディを抱きながら夜はルールテラスで歩いたり、トイレをさせたりして過ごす夜が続きました。
 
 夜の冷たい空気の中で、抱いているルディにブランケットをかけて歩いていると、丁度ルディの胸が私の胸の辺りに当たり、私の胸に彼の鼓動が伝わって来て、また肩にルディが頭を乗せているので、丁度耳の辺りでルディの寝息が聞こえます。ルディの胸にも私の胸の鼓動が伝わり、ルディの首のあたりには私の吐く息があたり、気持ちが柔んでくるのだと思いました。
 やっと寝たと思い、階段の降りようとすると、部屋の中の暖かい空気で目覚めるのかまた泣き始めるので、またテラスへ戻ります。
 
 今思えば、その時には、ルディはもう私と会えない事になるのを知っており、出来るだけ私と一緒にいたかったのではと思ったりして、思わず涙が出てきました。

 次の日のシッチェスまでの旅は非常に長く感じました。家に帰り、とりあえず荷物を置き、留守番をしていたリナに挨拶をしてすぐ病院に走りました。

 病院に着くとルディは小さな透明のプラスチックのケースの様な箱の中で点滴を打たれながら眠っていました。このプラスチックの様なケースが集中治療室で温度も調整でき、酸素も供給される様になっています。
 もう意識が無いみたいで呼んでも触っても反応しませんが、弱いながらもしっかりと呼吸しています。

 ベアトリス先生の話では「血液の採集も出来ないので、出血の原因も特定できない。現在は点滴で栄養や薬を取っているが、もう以前の様に回復する事はほとんど期待できない。今は眠っているが、意識が戻る事があったら泣き続けるが、痛みを感じている訳ではない。
 家に連れて帰ると点滴も出来ないのでそんなに長くは持たない。泣くのを聞いているのがつらかったら注射で永眠させることが出来る」

 私達は寂しがりやのルディを1人で病院において行くわけにはいかないので連れて帰る事にして、一晩一緒に過ごし、次の日の夕方、ベアトリス先生に家の方に来てもらい、注射で永眠させる事にしました。