星名理論と岡理論 42 岡先生とのやりとりについて 3

FWがスクラムを組んでいた場所に走り込む

 岡先生とプレーのことで話すようになったのは大学1年生の夏合宿でした。

 春の練習の終わりには1軍に入れてもらい試合に出してもらったのですが、夏合宿のスタートは2軍からでした。1軍と2軍の試合が始まるようになり、レフリーは岡先生自ら笛を吹かれていました。

 試合が始まると、もちろん1軍が圧倒しているのですが、数少ない2軍のアタックのおり、私は何度も1軍のバックスのディフェンスを突破しました。岡先生が驚かれたのは私の突破した後の走るコースです。

 自分のマークを抜くと、FWがスクラムを組んでいた場所へ走り込んで更に突破してしまうことです。
 普通、バックスのセンターの選手は外(フォワードがいる場所から遠い方)へ抜くケースが多く、内側に抜くことは、FWに向かって走ることになるので、すぐ外側に方向転換して走るケースが多いのですが、方向転換でスピードが落ちるので、カバーディフェンスに捕まりやすく、多くの選手は最初から外側に抜く事を考えます。

 私も外側に抜くのが得意なのですが、外側ばかり抜いていると、相手もそれを予想して動くようになります。私はそれも計算に入れ、意識的に最初は内側に抜くプレーをするようにしていました。そのプレーを先にすることにより、外側に抜きやすくなるからです。

 時々、内側に突破して、外側に方向転換せず、スクラムなどで一番密集していた場所に走り込みました。その時、タックルされずに、走り抜けることが多かったので、岡先生が驚いたわけです。

 試合が終わり、岡先生から呼ばれ、プレーについての話をしました。岡先生がプレーのことについて、私と話をするのはこれが初めてのことです。

「よく抜くな。なんであんなFWがスクラムを組んでいた、一番数が多いところを抜けるんだ? うちのFWは日本1のFWやぞ」
 岡先生のいう通り、その年の3月に日本選手権で社会人のトップ、八幡製鉄近鉄を破り優勝し、4月に卒業生を出しましたが、まだ大半のメンバーは残っていました。

 「最初は何も考えずに直感的に空いている場所を探して走り込んでいました。何回か抜けたので、何故かと考えたら、FWはスクラムを組み終わると、全員がフォローをしに走り始めるので、スクラムを組んでいた場所だけが、誰もいなくなることに気づきました。それからは意図的にFWがスクラムを組んでいた場所に走り込むようになりました」

 「なるほど、でもこれはお前しかできないプレーかもな。他のやつは最初の自分のマークを外すことに苦労しているから。自分のマークを抜かない限り、お前と同じような経験はする事がないからな」

 その後すぐまた1軍に戻り、それ以後は1軍の試合には4年間、ほとんどの試合に出ることになりました。
岡遠征、平尾?
夏合宿での岡先生、東田、児玉がいるので、後ろ姿は多分 平尾
 

岡先生は私とラグビーのプレーを話すことが多くなったのはこれからでした。岡先生は私の考えていることが、常識はずれで、考えたこともなかったようで、興味を持たれたようでした。