星名理論と岡理論 47

ラグビーの大学選手権の早稲田戦で負傷退場

 星名先生、岡先生が考案された10人スクラムの効果は抜群でした。当時の秩父宮ラグビー場は、関東のローム層の地盤の上に芝が貼ってあるのですが、冬になり、夜の気温が0度近くになると霜柱が立ち、これが昼間温度が上がると溶けて、上滑りして、慣れていない関西の選手は足が滑り、スクラムもうまく組めませんでした。

 1回戦の日大戦は強力フォワードの日大に10人スクラムで圧倒し、2回戦、準決勝の早稲田は7人ファオワードでバックスが一人多く、バックスに重点を置いた対照的なチームでした。
 
 この試合開始して間も無く、私はタックルに行く時、上滑りして足を滑らせ、体制を崩し、後ろの選手の膝の上に体を捻りながら、相手の選手を抱きかかえて倒れ込みました。
 私と相手の選手の体重が、捻った腰の一点にかかった為、骨には異常はなかったのですが、腰の損傷は激しいもので、それから1ヶ月ほど歩くのも困難な時が続きました。

 この時期はまだ負傷退場でも、選手の交代は認められない時期で、同志社は14人で戦うことになり、試合は負けてしまいました。
 私が試合途中で負傷退場したのはこれが初めてで、同志社大学に入り、これまで公式戦は1年生の時から、試合に出なかったのは、社会人対抗の近鉄大阪府警戦の2試合だけでした。脳震盪で倒れたことはありましたが、退場は一度もありませんでした。

 この時の負傷は、私のその後のプレーに大きく影響を与えたようです。1ヶ月ほどのほぼ寝たきりの生活は、復帰後のランニングのフォームが少し変わったようで、その後、太ももの肉離れを起こすようになりました。
 
 これは現在までも続いています。スペインに来てラグビーを再開してからも、スピードがでてくると、太ももの肉離れを起こすみたいです。厄介な体になってしまいました。
3年早稲田戦 負傷退場