ラグビーをする連中の性格 1

 ラグビーをする輩は私と同様で大雑把でいい加減な性格が多い様です。少し良い言葉で言い直すと、「寛容で柔軟性がある」とか「他の人の価値観と多様性を認める」とも言えるのではないかと思います。

 「ラグビーをやっている、ラグビーが好きだ」と言うだけで、国籍、性別、年齢など関係なしに信頼して、友達になってしまいます。本当に何も考えていない、単純な奴ばかりです。

 初めて海外に行ったのは同志社大学の2年生の終わりの春休みにニュージーランドラグビーの遠征に行った時でした。1ヶ月近くの遠征で、南島のクライストチャーチを中心に、各地を試合をして回ったのですが、宿泊の多くが、民宿でした。しかも宿泊費など払うことはなく、送り迎え全てやってもらい食事や洗濯の世話までやって頂きました。

それ以後、ラグビー関係者の家にお世話になったり、我が家に泊まってもらったりが当たり前になってしまいました。

大学2年 1966年 ニュージーランド遠征、ウエリントン Victoria Univ.戦 

 ニュージーランドの首都、ウエリントンのビクトリア大学との試合の記事です。私の名前がミスプリントでO.Wuranoとなっています。私のことを褒めてくれています。
 この時の私の対面の選手はケンバーと言う選手で、数年後、ニュージーランド大学選抜で来日し、再戦しました。その後、オールブラックスのセンターに選ばれました。


 東京に出てから長い間、南青山のマッチ箱の様な古い一軒家に住んでいました。2階建で1階に6畳のリビングと小さなキッチンと風呂、トイレ、2階が4畳半と3畳の二部屋で、最初は友人と住んでいたのですが、友人が出て行ってから一人で住んでいました。本当にマッチ箱のようで、風が吹くと家が揺れると言う様な小さな家でした。

 一度私が病気で母が4−5日、岡山から出てきて、料理を作ってくれたのですが、風が強い日で、家が揺れて、船酔いになったと言っていました。

 入口の前が狭い路地で、ドアの前が大家さんの入り口で、空き巣も入らないと思い、鍵もかけずに開けっ放しでした。あるのはテレビ、冷蔵庫、洗濯機だけで、金目のものは何もないので、出入り自由でした。

 当時丸紅でラグビーをしていたので、ラグビーの仲間がよく泊まりに来ていました。ある時、仕事で夜遅くなり、2時ごろに家に帰り、入口のドアを開けると、靴が転がり出てきて、びっくりしました。

 麻雀をしていた二組がそのまま泊まりに来て、勝手に風呂を沸かして入り、横になって寝られるスペースに重なり合って寝ていました、

 私は寝る場所がなく、平たい所を探したらソファーがあるだけで、仕方がないので、ソファーで寝ました。

 海外からのラグビーの選手が泊まった時もあります。シンガポールラグビーの選手が3人日本に遊びに来て、泊まるところが無いので、泊めてくれとのことで、3人に2階で寝てもらいました。

 風呂の沸かし方を教え、鍵はかけないので、貴重品は家の中には置かないように、と伝えて、私は翌日から出張に出かけました。

 義理堅い奴らで、シンガポールに行った時は食事をご馳走になりました。

 ラグビーの連中の付き合いはこんなように、本当に大雑把でいい加減です。でも、皆信頼のおける奴らです。