コロナのワクチンの副反応ではなく心臓弁膜症

 ご心配をおかけしましたが、検査の結果、心臓弁膜症だと判明しました。

 コロナ禍で引きこもりの生活が続き、スペイン語も話す機会が全くなくなり、病状を正確に伝えるために、下記の日本語作成し、英語に翻訳、そしてそれをスペイン語に翻訳し直して、印刷して主治医の女医さんに読んでもらいながら診察してもらいました。

 15年以上前から、私はシッチェスに来てから毎日、朝にランニング(全力疾走、30メートル、10回)と、夜に筋肉トレーニング(40分)をして、ラグビーをしていた。 コロナが流行ったので、私はラグビーは辞めたが、ランニングとトレーニングは続けていた。

 12月3日に私は3回目のコロナワクチンの注射を受けた。私はそれまでは昼に犬の散歩は車でビーチへ行き、1キロほど歩いていた。

 12月中旬から私は昼に犬の散歩を家から4キロほど歩く様になり、めまい、息切れがする様になった。これは歩く距離が長くなったので体への負担が大きくなったためだと思っていた。朝のランニングと夜の筋肉トレーニングはいつもと同じ様に続けていたが、疲労感とめまいはあったが、息切れはなかった。

 3週間ほど前からランニング(全力疾走)30メートルを6回を走ると疲労感とめまいと少し息切れがしてきた。

 数日前から1回走ると息切れがしてきて、胸が痛くなるので、走るのをやめた。

 2日前から少し長い距離を歩くともう息切れがして、胸が痛くなる様になった。

 コロナワクチンの副反応(心筋炎、心膜炎)を心配している。

 診察してくれたのは私のことを長く診てくれている主治医の女医で、すぐ心電図を撮り、心電図を以前のものと比較、多分、心臓弁膜症を予測し、すぐ救急車で、設備のしっかりした、サンカミルの病院に救急搬送するように手配してくれました。

 最初に運び込まれた緊急の処置室(手術室?)に置かれ、「絶対に動くな」と言われ、血圧計と心電図と血液検査の注射針を取り付けられ、尿瓶を渡され、時々看護婦さんがチェックをしに来るだけで9時ごろ簡単な夜食が出ただけで、夜10時過ぎまで放置状態で、医者らしき人は来ませんでした。明日はバルセロナの病院に行くと伝えられただけです。

手術室
 煌々と光り輝く部屋で、こんな明るいところでは寝られないな、と思っていると10時半ごろになり、寝室に移されました。4日間、バルセロナの病院にカテーテルの検査に行く時に車椅子で部屋を出ただけで、ずっとベッドで寝ていたので、腰が痛くなり、歩くのが大変でした。
 
 4月4日月曜日の朝、朝食を終えてしばらくすると女医さんがやって来て、詳しい診察や治療の経過を書いた書類と次回の予約票を持って来て、もう帰って良いからとのことでした。多分、この時あった女性が今回私を担当してくれた先生だと思います。
 「詳しいことは書類に書いてあるのと、マリアさん(親しくしてもらっている日本滞在歴のある日系2世のアルゼンチン人と結婚した英語、スペイン語と少し日本語の話せる人)に話してある」とのことで、身の回りを片付けて、看護婦さんに挨拶をして、バスに乗って帰りました。はるみはタクシーで帰る様にと言っていたのですが、タクシーを待っているうちにシッチェス行きのバスが来たので、そのまま乗って帰りました。
  
 マリアさんの話では心臓弁膜症で弁膜の一つが破損し、その治療も既に済んでいるとの事でした。PCR検査もしてくれたみたいですが、陰性でコロナは関係ない様です。

 この合理的な手順には驚きました。
 私が医師の顔を見たのは帰る時が初めてです。バルセロナでのカテーテルの処置もベッドに横になるとすぐ麻酔の注射を打たれたみたいで、気づいたら全て終わっていて、何も覚えていません。
 多分コロナ禍で医療が逼迫し、忙しくてゆっくり顔を合わせて診ている時間がなかったのでしょう。

 心臓弁膜症を放置しておくと、心不全などで死亡するとのことですが、長いことラグビーをしていると身体中痛いところだらけで、痛みが警報にはなりません。痛い、めまい、頭痛、しんどいは辛抱しながら普通にやるべきことをやる、と言うのが当たり前だったので、コロナのワクチンの副反応のことを調べなければ、いつも通り辛抱しながら普通に生活していたと思います。

 コロナとスペインのおかげで、助かったのかも。
 本当にスペインに来て良かった、とまた、感謝しています。