星名理論と岡理論 13 岡先生の指導方針 個性を伸ばす。

岡先生に一度だけ怒られた京都市役所戦

形のないのが同志社の形
    
 私は常識はずれのプレーばかりしていました。でも岡先生はそれをほとんど放置していました。
 私は同志社大学の時、岡先生から怒られたことは一度だけです。
 4年生の春、京都市役所との練習試合があり、レフリーは岡先生自ら笛を吹かれました。その頃の京都市役所のラグビーは強くて、同志社からも良い選手がたくさん行っていました。試合が始まって20分位、京都市役所の一方的なペースで進んでいました。

 私はディフェンスにも自信を持っていたのですが、相手には私の事をよく知っている先輩が多く、私のマークの選手にはボールを持たせません。FWも圧倒されていたのでアタックも良いボールが回ってきません。ボールを持つ機会があったのですが、大きく突破するのは無理だと思ったので、内に入ってFWの選手にボールを戻しました。

 突然、岡先生が「浦、痛いラグビーはやらんのか」と言って怒り、試合を止めて、両チーム見ている前で、私に生タックルの練習をさせました。この瞬間頭が真っ白になり、寒気がして体が震えたのを覚えています。

 ゲームが再開されたのですが、相変わらず私の対面がボールを持つ機会がなく、タックルもできません。どうしてもこの怒りをタックルで相手にぶつけたい私は、私の隣の選手の対面にタックルすることにしました。その選手は同志社大学の2年先輩で私が1年生の時、一緒にセンターを組んでいた人でした。

 その人の動きはよく分かっていたのでボールを持って走っていくコースが予測できたので、そこに向かって最短距離を全力で走って行き、加速をつけて思い切りタックルしました。こんな激しいタックルをしたのは初めてのことだと思います。

 この時のタックルを受けた先輩と、私が卒業してから数年後、話をする機会がありました。

 「少し早いけど、引退する。お前の所為や。首がおかしくなった。ムチウチは後ろからぶつかられて、頭だけが残って、身体が前に動いて首を痛めるけど、全く逆で、前からぶつかられて、身体だけが後ろに持っていかれて、首がおかしくなった。痛みは大した事はない。自分の対面の動きは見えていたが、まさかその外側のお前があんなに早くタックルに来るとは思わなかった。それがトラウマの様になり、前に思い切って出ることが出来なくなり、思うようなプレイが出来なくなった」

 勿論私を非難する様な口調ではなく、褒めてくれている様子でした。

 京都市役所との試合の数日後岡先生から呼ばれその時の話をされました。「お前が悪くなかったのはよくわかっている。しかし、試合の流れを変えるのには無茶をやることが必要だった。俺は上級生しかあんな怒り方はしない。お前の同期はみんな性格のおとなしい奴ばかりで、俺が怒るとみんなシュンとして落ち込んでしまう。怒られて気が狂ったようになって無茶をするのはお前しかいない。お前のタックルで流れが変わって勝つことができた。今後も怒られ役になって欲しい」との事でした。

 怒られなければ、あんな無茶な事はしなかった事が自分でも分かっていたので不承不承了解しました。でも、先生は私に内在している狂気の激しさを感じ取ったのか、二度とあのような怒り方をすることはありませんでした。

 私は自分より力の上の相手や、悪い試合の流れを断ち切るには、通常の判断ではなく、狂気のような、大胆な慣習にとらわれない発想が必要だと教えられました。

 岡先生の岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」はこちらから