星名理論と岡理論 37 常識やしきたりを全てひっくり返す2

京都の祇園で芸妓さんを呼んでどんちゃん騒ぎ。

  星名先生と岡先生の教えを受けた私は、前提となっている業界や会社のしきたりとか慣習に囚われない、営業スタイルも無茶苦茶でした。広告業界は接待が激しいので、接待費は会社の割当額を大幅に突破し、目標の利益率の範囲内で好き勝手に使っていました。
 
 広告業界は提案が良いのは当たり前で、接待で勝たなければ、大手との競争には勝てない。岡先生が「フォワード戦に勝たないと試合に勝てない」と考えたように、私は接待戦に勝てなければ仕事は取れない、と思いました。そして最強の接待部隊を作ることにしました。
 
 私は同志社大学ラグビーをしていた時、高校から同期の伊藤(同志社が大学選手権初優勝したときの監督)のおばあさんの所に下宿していました。伊藤のお母さんとおばあさんは芸妓の出身で祇園で料理屋を経営しており、祇園では有名な人でした。
 そのおかげで、学生時代から祇園の芸妓さんに親しい人もいました。

 私が部下に伝えた方針は以下のようなことです。
 「スポンサーの接待は金に糸目はつけずに、回数を少なくして、超一流の所にしろ。個人や会社の仲間とは最も安いところ行け。重要なスポンサーは京都の祇園に連れて行け」 
 ゴルフが好きなスポンサーには小金井カントリー倶楽部、テニスの好きな人には東京ローンテニスクラブ、バーやクラブの好きな人には銀座、色々コネを使い道筋をつけました。

 このうち私が付き合ったのは祇園だけでした。私はゴルフ、酒はやらないので、食事以外は付き合えないと、スポンサーに宣言しており、部下が案内することをスポンサーに了解してもらっていました。
 スポンサーも、無口な私より、太鼓持ちの天才のような若い男性と、美人の若い女性と一緒の方が楽しいようでした。

 祇園は特別な社会で、まず一見さんは入れないし、祇園独特の慣習のようなものがあり、それを私は熟知していました。
 まず、普通の人が驚くのは、金を一切その場で払わないことです。いつも伊藤のお母さんの店で食事をして、そこに芸妓さん、舞妓さんを呼んで一緒に飲み食いし、次に芸妓さんなどと一緒に近所のバーに行き、カラオケなどで大騒ぎをして、そして最後はお好み焼き屋さんでお好み焼きを食べると言うのがコースでした。

 今はどうか知りませんが、当時はここまでは金を支払うことはありませんでした。全て、予約は伊藤の店がしてくれて、芸妓さんが案内してくれて、請求書が伊藤に周り、私は伊藤の店に一括して払うだけです。
 万が一、私が伊藤に金を払わなければ、全て伊藤が負担することになります。それほど祇園は信用が大事にされています。

 一度祇園を経験すると、大抵の人は、「年に1回か、2回祇園に連れて行ってくれるのであれば、銀座もゴルフもいらない」と言ってくれました。東京の大手の会社の広告発注担当者でも、銀座のクラブで飲む事はあっても、京都の祇園に行き、芸妓さんや舞妓さんと飲む経験はしたことがなかったようです。

 私は接待は苦手なので、部下の25歳ぐらいの男と卒業したての女性に任せきりで、時には二人が勝手にスポンサーを連れ、祇園に行っていました。夕方、仕事を早めに切り上げ、新幹線で京都に行き、祇園で芸妓さんと遊んで、祇園に泊まり、朝一番の新幹線で東京に帰ってきたみたいです。

 接待費はどんどん使うし、売り上げはどんどん取ってくるし、私の言う事はなんでも聞く、素晴らしい部下でした。


私が住んでいた祇園の近所 Google Mapより 現在の写真です。
祇園 住んでいた近所