星名理論と岡理論 67 受動的思考から主体的思考へ 9

最強の接待部隊 (星名理論と岡理論 65 の続きです)

 私が最初に働いた広告業界は接待が重要な仕事でした。岡先生がラグビーフォワード戦に勝てなければ、試合に勝つことはできない」と考えたように、私は「接待戦に勝てなければ、仕事をとることができない」と思いました。

 この頃の私は星名先生の主体的思考になっており、環境に合わせるのでなく、環境を作り替える様な考え方になっていました。仕事が取りやすくなる環境、すなわち接待費が自由に使える環境を作るべきだと考えました。

 当時の社内規則では到底接待戦に勝てるようなものではありませんでした。各営業に割り当てられる接待費の予算は会社の資本金に対応した累進課税で安い税率の範囲内(今の税法がどうか知りませんが)の金額を各営業課に均等に割り振ったもので、これは公平なものでした。

 しかし、それは接待戦に勝つために十分なものではありませんでした。この範囲内では稟議書の必要もなく、課長の決済で好きに使う事ができるのですが、多くの課では接待はあまりせず、仲間内の飲み食いに使っていたようです。

 私は部下には「接待は回数を減らし、超一流の所だけにしろ。近所の安い店は絶対やめろ。社内接待はしないから、仲間内で行く時にはできるだけ安いところに行け」と伝えていました。そして接待費の予算の増額を会社と交渉しました。

 私は自分の課は利益率が非常に良く、会社の目標の利益率を大きく上回っていたので、経理と交渉し、この目標の利益率の範囲で予算を超えた接待費は、累進課税での高率の税額を加算し、社内的には、原価として課の利益から差し引くように交渉しました。

 経理課長は私の数少ない理解者で「お前の課の領収書は一目でわかる。他の課と桁が違う。安い領収書が一枚もない。本当に接待の為に使っていることがすぐわかる」とのことで了承してもらいました。

 部下には、新入社員の女性にも「顧客の会社に行く時には会社の代表で行くのだから、今進行中の仕事はあらかじめ予測して、値引きの要請があったら、その場で受注額を決めろ。赤字になっても構わない。接待も今した方が良いと思ったら、その場で決めろ。上限は決めないから一流のところへ行け、俺の同席や許可は必要ない」

 一般企業相手には接待は違法ではないので、回数を減らして、超一流の接待を心がけましたが、官庁相手には違法になる可能性が高いので、一度も接待はしませんでした。

 接待の極め付けは京都の祇園でした。私は大学の時、高校からのラグビーの同期の伊藤(同志社が初めて大学選手権で優勝した時の監督)のお婆さんの家に下宿していました。伊藤の家は芸妓さんの出身で、お母さんは祇園で小料理屋をしていて、祇園では有名な人でした。そのため、私も芸妓さんに知り合いもいて、重要な接待は祇園を使っていました。

祇園 住んでいた近所
住んでいた祇園の今の写真です。私の住んでいた頃とほとんど変わっていません。
 部下の20歳代前半の若い男女の担当が、わざわざ東京から京都の祇園に行き、小料理屋に芸妓さんや舞妓さんを呼んで接待するなど、接待されることに慣れている大企業の広告担当者もびっくりしたみたいで、非常に喜んでいたようです。

 接待費はどんどん使うし、売上はどんどん伸ばすし、私の言うことはなんでも聞く、素晴らしい部下達でした。

 私は岡先生が最強のフォワードを作ることに成功したように、最強の接待部隊を作ることに成功したみたいです。