星名理論と岡理論 70 受動的思考から主体的思考へ 12



 イメージトレーニングが戦術から戦略へ発展

 私が高校で初めてラグビーを始めた時、他の同級生は皆同志社中学からのラグビーの経験者で、高校に入ってラグビーホールに初めて触ることになった私は全く他の選手についていけず、15人しかいない選手のただ一人の補欠でポジションも決めてもらえませんでした。試合になると15人必要なので、体を壊してもう練習をしていないマネージャーが試合に出ていました。

 毎日、イメージトレーニングで相手をどうしてタックルするか、相手のタックルを躱すにはどうすべきかを、繰り返していました。これは個人と個人のプレーで、個々の戦闘レベルのイメージトレーニングです。

 当時の高校ラグビーのレベルでは「戦闘レベルの練習しかおこなわれなかった」のが現実だと思います。60年近く前の話ですので、まだVTRも普及しておらず、本でしかラグビーの情報を得ることが出来ない時代でした。

 同志社大学に入ってチームとしての戦術レベルの練習が行われるようになりました。私が同志社大学はに入った時は、第1回の日本選手権で社会人を破って優勝した直後で、当然ですが、個々の選手の完成度のレベルが高校とは違いすぎて、パスのミスなどはほとんどなく、横の選手の動きにどのように合わせて、相手のバランスを崩すか、などチーム全体の動きが、練習となりました。
 当然私のイメージトレーニングはチーム全体の動きの中で、どのように動いたら良いのかと言う様に変わりました。
 でもこれは「相手のディフェンスがこの様にしてきたら、どの様に対応するか」と言う、受動的な思考の下でのイメージトレーニングでした。

 2年生の時に星名先生と出会い、「タックルラインはディフェンスが決める」と言うそれまでの常識と真逆の「タックルラインはアタックする側が決められる」と言う主体的な思考を教えてもらい、そのイメージトレーニングを続けました。

 3年生になると、岡先生から試合時間の80分間の中で、いろいろな戦術をどの様な順序で組み立てて、フォワード戦を有利に戦うか、戦略的な発想を教えてもらいました。

 「フォワード戦に勝てなければ、試合に勝てない」と考えていた岡先生は、星名先生の教えで10人でスクラムを組んで、更にバックスには外へ大きくボールを回さずに、フォワード周辺にバックスがボールを持って走り込む時間帯(Aアタック)と普通にバックスに回す時間帯(Bアタック)の時間帯に分け、それを時間で切り替える戦略的な試合運びを教えてくれました。
自分で考え、責任を持つ
 試合開始直後はAアタックを20分間ほど続けて、この時間帯はバックスは外へボールを展開せずに、フォワードの周辺へボールを持って走り込み、徹底的に相手のフォワードを疲労させ、その後Bアタックでバックスで外へ展開し、後半が始まるとまたAアタックで、徹底的に相手のフォワードを疲労させ、最後の20分で勝負を決めると言うものでした。
 それからの私のイメージトレーニングはフォワード戦を有利に戦う戦術的なプレーをどの順序で実施して、どの様な状況になれば、普通にバックスに回すBアタックに切り替えるか、戦略的なイメージトレーニングを繰り返しました。
日大戦記事1日大戦記事2
 そして大学選手権の日大戦にそれを実践しました。試合は前半は負けていましたが、後半には相手のフォワードが疲労で動けなくなり、逆転勝ちしました。