星名理論と岡理論 87  主体的思考による環境の最適化 6

 星名先生から岡先生に引き継がれたもの

 星名先生から教えを受けた岡先生に引き継がれたものは「自由な発想」と「主体的な思考」のようです。

 岡先生の講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書かれています。

自分で考え、責任を持つ
 岡先生の略歴(ウィキペでイアより抜粋、加筆)です。
 大阪市出身。天王寺中学から同志社大学文学部に進学。現役時代のポジションはFW。1959年に同大ラグビー部監督に就任。1962年に日本選手権の前身、第2回NHK杯で優勝。1964年の第1回日本選手権も制した。同志社ラグビーの象徴ともされる存在である。
 1973年にラグビー部で部員事故死があり監督を辞任。3年後に復帰した。その後、大学選手権は、林敏之大八木淳史らで1980年に初優勝し、平尾誠二らが在籍した1982年〜1984年度に史上初の3連覇を果たした。このほか、日本代表監督も1972年をはじめ数度歴任。日本ラグビーフットボール協会強化委員長も務めた。

 バックス出身の星名先生とは違い、フォワード出身の岡先生はフォワード戦にこだわりを持っておられるように感じました。「フォワード戦に勝たないとラグビーの試合には勝てない」と言って、特にスクラムを重視しておられました。
 1960年代の同志社スクラムの強さは伝説的です。スクラムは8人の力を最前列の3人にうまく伝えないと押せません。少しぐらい力の差があっても、相手に一人強い選手がいるとスクラムが回ったりして組み直しを命じられ、押すことは難しいので、組んですぐボールを入れて最前列の真ん中の選手(フッカー)がボールをフッキング(足で後ろに転がす)します。
 
 スクラムを押すことにこだわった岡先生は時にはフッキングをする時に片足を浮かせるので、フッキングをやめて両足で押すように指示したこともあります。この時代のスクラムは押すのではなく、押しながら走るものだ、と言われていました。事実、私はテレビでスクラムを20メートルほど押しながら走って、相手のフッカーがボールと一緒にスクラムから転がって出てきたのを見た事があります。

 このように岡先生のラグビーに対する考え方は、主体的な思考で、スクラムをどのようにして押し勝つか、常識や慣習に縛られない、自由な発想で、フォワードが勝てる環境を作り上げておられました