もしかしてワクチンの後遺症?
星名理論と岡理論 89 星名理論のアニメーション
星名理論と岡理論 88 主体的思考による環境の最適化 7
私が星名先生、岡先生から引き継いだもの。
当然、私が両先生から引き継いだものは「自由な発想」と「主体的な思考」のようです。でも、これに気づいたのが半世紀以上経った、もう人生の終わりも間近の最近というのが私らしいところです。
私が星名先生にグランド以外でお会いしたのは2回だけです。一度は卒業間近、京都の同志社のグランドがあった近くの三宅八幡駅の近くのご自宅に、キャプテンの石塚と一緒にお邪魔しました。
卒業して広告代理店に勤務していた時、毎日放送でよく面倒を見ていただいた、京大のボクシング部のOBの森さんと一緒に、軽井沢の星名先生の別荘にお邪魔した事があります。
森さんがイギリスのBBCが放送したラグビーの世界選抜とイングランド代表の試合の放送権を手に入れ、なんとか日本で放送したいので、星名先生の力を借りたいとのことで、京大ラグビーのOBの石田さんと一緒に、別荘にお邪魔しました。そして星名先生の力添えで新日鉄の提供していた番組の中で放送する事ができました。
当時、まだ世界のラグビーの情報が全く入ってこない時期での初めてと言っても良いような、素晴らしい試合の放送でした。
岡先生とは卒業してから20年近く、毎夏、同志社の合宿には臨時コーチとして2週間参加し、大学選手権などで同志社が上京した時は宿舎に同宿しました。
また住んでいたのが南青山、元麻布と都心で便利で、独身時代が長かったので岡先生は気軽に、泊まりに来られ、ラグビーの話を夜遅くまでしていました。
ですので、岡先生のラグビー理論は私が一番理解していると自負しています。
ラグビーを始めたおかげで、自分は得るものが多かったと思ってはいたのですが、何がどのように自分に影響を与えたのか、考えた事がありませんでした。
これは私だけではなく、ラグビーをした多くの人が、「ラグビーをして良かった」と感じていると思いますが、これは他のスポーツをしている人も同じです。他のスポーツをした人も「そのスポーツをして良かった」と思っている事でしょう。
でも、私はラグビーだからこその、何かがある様に感じていました。私のラグビーの友人の多くは、大雑把でいい加減です。良く言えば、「他人の価値観を認め、多様性を認める」とも言えます。
何故、この様な性格になっていくのか、
そのキーワードとなるのが「主体的思考」だと考える様になりました。
ブログの構成を一部変更しました。
FC2のこのブログを始めたのが2020年9月20日です。 FC2のブログを始めて1年半経ちました。
コロナ禍でいつ死ぬかもしれなくなったので、星名先生と岡先生のラグビー理論を誰でもが見られるように、ブログに残しておこうと思い立ちました。ブログには書いてあるのですが、お二人のラグビー理論はすごいものです。私が大学2年生の時、星名先生に教えていただいた理論はコペルニクス的転回と言った表現がぴったりする、それまでの理論の真逆のもので私の生き方にまで影響を与えたものでした。
無口で、照れ屋で、表現能力に欠けていた私は自分が教えていただいて、実践できるようになった技術を後輩に伝授する事ができませんでした。そしてマーケティング業界に進みたかった私を後押ししてくれたのは星名先生でした。
その時に先輩から言われた言葉は今でも心に残っています。
「お前は星名理論を同志社で実践できているただ一人の選手ではないか。そのお前が社会人の強豪チームでラグビーをせず、マーケティング業界に進むことを星名先生が後押しをしてくれている。その星名先生の気持ちを考えると、お前は星名先生の後押しを断り、ラグビーを続けて星名理論を啓蒙すべき役割があるのでは」
でも当時は、星名先生も岡先生もお元気だったので、誰か後継者はすぐ出てくるのではと思っていたので、星名先生のご厚意を受けさせていただきました。
それからもう半世紀以上経つのに、まだ星名理論の実践者は現れません。それで、少しでも多くの人が星名理論に触れる機会を作っておこうとブログを始めました。
そのため、ブログはFC2以外にも読者層が違うのでアメブロ、ハテナ、エキサイト、Blogger などに同じ記事を掲載時期をずらせながら公開していました。特にBloggerはGoogleがやっていることもあり、世界各国の言語に翻訳できるので、ラグビーだけに絞り込み、ホームページのような構成にしてこちらをメインにしようと考えていました。
ところが最近になり、自分が作ったものでも、同一の重複記事はGoogleの検索結果の表示などで問題がある事がわかりました。私はSEOは勉強のためにいろいろ調べましたが、広告や広報が私の専門分野ですので、最終的には既存メディアへのリリースを視野に入れていたので検索でのページビューにはあまり重点を置いていなくて、またスペインのラグビー関係者にも読んでもらいたかったので、Googleをメインにしようと思っていたのですが、最近になり、AppleのSafariでも全ページ他の言語で全て翻訳可能なことを知りました。
いつからこのようになったのか知りませんが、あたらしいMacBook Airでは一番上にアルファベットの記号の様なものがあり、そこをクリックするとブログ全体が英語、スペイン語などの登録している言語に全て翻訳してくれる事がわかりました。
それでちょうど1年半の日となる昨日に、他のブログを全て公開をやめ、このブログの右欄のリンク先を全て削除し、カテゴリーを修正し、もう少し、星名理論が読みやすくなるように作り替えました。
星名先生と岡先生と岡先生のお嬢さん
クラシックカーラリーが再開されました。
昨日の日曜日、久しぶりに雨が降らずに、朝から時々太陽が出ていました。
昼食を早めに切り上げ、リナとレニィを連れていつものサンセバスチャンビーチに散歩に行きました。
サンセバスチャンビーチの遊歩道への道に着くと、前方の遊歩道は沢山の人で何かイベントが行われているようでした。
人だかりで何をやっているのか見えませんでしたが、旧式のクラクションがなっているのが聞こえ、もしかしたらクラシックカーラリーが再開されたのでは、と思い急いだのですが、もう最後の方で写真は撮れませんでした。
ラリーと言っても競争ではなく、クラシックカーに乗って、クラシックな服装をした人がパレードをするだけで、バルセロナを朝出発して、昼過ぎにシッチェスに着いて、パリッシュ教会の前の広場に車を展示して、シッチェスの街中をクラシックな服装で歩き回る、と言うものです。
いつものコースを変え、とりあえず、リナとレニィをビーチで遊ばせ、パリッシュ教会の前の広場に急ぎました。日曜日とは言え、最近のシッチェスは人出が少ないので、マスクも持って来ませんでした。
久しぶりの人出で、これはまずいと思い、写真を一枚撮っただけで、メインの道を避け、細い道を抜けて家に帰りました。
星名理論と岡理論 87 主体的思考による環境の最適化 6
星名先生から岡先生に引き継がれたもの
星名先生から教えを受けた岡先生に引き継がれたものは「自由な発想」と「主体的な思考」のようです。
岡先生の講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書かれています。
タクシー68台 ウクライナ避難民を迎えに6370キロ
コロナ禍にウクライナ侵攻、日本からのニュースは不愉快なものばかりです。香港で感染が急増し、核戦争の危機が騒がれている中に、原発再稼働、Go To トラベル、年金生活者向け5000円と馬鹿げたニュースばかりです。
こんな時に、読んでいて思わず涙ぐんでしまいそうなスペインのエピソードです。
下の記事はスペインニュース・コムの抜粋です。
2022年3月17日、朝、午前1時になった頃、マドリッド市に68台のタクシー群が、ウクライナ国民135名を伴って到着した。
ウクライナでの惨事を見て、自分達に出来る事は何かと考えた時に思いついたのがタクシーを使っての物資の輸送、そして避難民の脱出の手助けだったとのこと。
これに賛同したタクシー運転手68名が、それぞれの車の内外部に、スペイン国内で集められた救援物資を積める限り積み込んでポーランドへと向かった。
ポーランドで積み荷を降ろしたあと、ポーランドまで避難して来たウクライナの人々でスペインへ移動したい人々の移送の手助けを買って出た。
こうして乳幼児、子供、高齢者を中心に計135名の避難民を乗せたマドリッドのタクシー群は、ヨーロッパの東の果てから西の果てへと向かった。
マドリッドを出発してから戻ってくるまで、往復6370キロの道のりであった。 彼らの到着を歓迎しようと、マドリッドのタクシードライバー達がそれぞれの車を出し、オドネル通りからシベレス広場にかけてのタクシー・バス用車線に車を並べ、その到着を待っていた。
長旅を終え市内中心部へと入って来た135名のウクライナ避難民、そして彼らをここまで無事に運んできた運転手等に対し、クラクションによる大合奏、そしてスペインへの歓迎と励ましの言葉を投げかけた。
避難して来た人々には勿論、タクシー仲間等によるこの思わぬ大歓迎を受けた運転手等にとっても、生涯忘れる事のない瞬間になったとのこと。
マドリッドに到着したウクライナの人々は、「平和の使者協会」の創立者であるアンヘル神父が待つ、Hortaleza通り63番地にあるサン・アントン教会に導かれ、そのあとマドリッド市やその他の都市のそれぞれの受け入れ先家族の元へ向かった。
スペイン人は本当に大雑把でいい加減で、ラグビーをする輩と同じです。スペインに来て日本人だからと差別されたことはありませんでした。アフリカ大陸からの難民もたくさん受け入れています。スペイン、シッチェスに来て本当に良かったと思っています。
今日のシッチェスも朝は雨でしたが、昼からは雨も止み、リナとレニィを連れてビーチに行きました。
昨日のサンセバスチャンビーチの写真です。