星名理論と岡理論
枠にはめない、自由な指導方針 岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書いておられます。 岡先生は私が同志社大学の現役の時(昭和40年頃)から、もうこのような指導をされていました。私も岡先生から、「こうしろ」と言われたことはありま…
温厚な岡先生を支えた松尾先輩 日大のアメフットの危険タックル問題が騒がれたことがありましたが、私も同志社大学4年の時、タックルで相手を黙らせるよう指示を受けたことがあります。 娘のまり子さんからもらった岡先生の写真 指示をしたのは勿論温厚な岡…
岡先生に一度だけ怒られた京都市役所戦 私は常識はずれのプレーばかりしていました。でも岡先生はそれをほとんど放置していました。 私は同志社大学の時、岡先生から怒られたことは一度だけです。 4年生の春、京都市役所との練習試合があり、レフリーは岡先…
後ろに向かって走って突破 星名理論はスクラムだけではなく、ラックでも応用できた。スクラムでは5メートルルールがあり、スクラムの最後尾より5メートルの距離を置かなければならないが、ラックの場合ラックの最後尾からディフェンスが出ることが可能であ…
星名理論のディフェンスへの応用 体重の軽い自分はセンターで相手がトップスピードで走ってくれば、待ってタックルをするのが苦手である。そのために相手がトップスピードになる前に相手以上のスピードでタックルをすることを心がけた。 当時(多分今でも)…
フォローでもタックルポイントはアタックが決められる。 星名先生のアタックする側がタックルライン(ポイント)を自由に決められると言う考え方は私のプレイに大きな変化を与えた。これはセットされた状態でのアタックだけでなくあらゆる場面で適応できるか…
タックルラインはアタックする側が決める。 ラグビーのルールはこれまでも度々変更されてきましたが、今後も不変と思われる二つのプレーがあります。ノーボールタックルの禁止とオフサイドです。 わかりやすい言葉に言い換えると、ボールを持っていない選手…
岡先生は前提となっている常識みたいなものさえ疑って、既成の枠にこだわらない、自由な発想を持っておられたように感じました。岡仁詩先生の自由な発想などは星名秦先生の影響が大きかったと思います。 岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」では次のよう…
岡仁詩先生の自由な発想などは星名秦先生の影響が大きかったと思います。 岡先生の講演録「教わり、教え、教えられ」では次のように書いておられます。 岡先生は前提となっている常識みたいなものさえ、疑って既成の枠にこだわらない、自由な発想を持ってお…
同志社大学を卒業して社会人の強豪チームでラグビーをしなかった私に岡仁詩先生は「夏合宿には必ずコーチとしてくるように」と言われました。東京に勤務した私は先生との約束通り、約20年間、毎夏2週間ほどの夏休みを取り、合宿にコーチとして参加しまし…
星名秦先生の理論について4回続いたので、次に岡仁詩先生の理論について書きたいと思います。 岡先生のラグビーに対する考え方は岡先生講演録「教わり、教え、教えられ」が一番分かりやすい思います。しかし、ここには主にコーチングからの視点でもって話さ…
それぞれの選手が自分のマークにタックルする場所を結んだタックルラインが想定できます。通常これはアタック側とディフェンス側の中間地点だと想定できます。これはディフェンス側の出足にアタック側が合わせて決まってくるものだと思っていました。 所が、…
レフリーは私の高校の後輩でした。FWの選手でレフリーの勉強をしたいとのことで、時々笛を吹いていました。FWの選手で練習をしていたので、私達、バックスがどのような練習をしていたのかは知りませんでした。 ここに出てくる横井さんはFC2のブログでラグビ…
当時のバックスのアタックラインは深い(ゲインライン、敵から遠い)のが主流でした。同志社はその頃珍しい浅いアタックラインで、その中でも私は最も浅い位置に立ちプレーができる選手だと自負していました。 1963年3月に第一回の日本選手権があり、同志社…
最近のラグビーのファンの方では聞いたことがない、もしかしたら60歳以上の人でラグビー経験者だと知っているかもしれない、二人のラグビーの名選手のラグビーに対する考え方です。 同志社大学のラグビーが最盛期の頃、林、大八木、平尾などで大学選手権3連…